22年前に真誠会セントラルクリニック(当
時の真誠会医院)を開業するとき私は45歳で
した。今だから白状できますが、手持ちのお
金は一千万円も無かったと思います。でも開
業するには約3億円かかったと思います。
私は当時米子では名も知られていない一介
の医師でしたから本当は成功する保証は限り
なく少なかったと思います。
普通でしたら開業前には地元の病院に勤めて
評判を得て、ある程度の患者さんは来てくれ
るという計算のもとに開業する方が多いと思います。しかしながら私は鳥取大学医学部にいましたので、米子の市民の皆様には無名でした。
それなのに私は「開業は何とかできる」と思ったことがあります。それは開業して成功するために必要なことは命をかけてどんな努力でもするという熱意はありました。
成功する可能性があるからするのではなく、成功するための努力をすれば何とかなるだろうと思ったのです。だから唯一頼りにしたのは私自身の努力と実行力に対する自分の評価でした。真誠会セントラルクリニックが出来てからも、米子ゆうとぴあ、弓浜ホスピタウン、ケアハウス、グループホーム青松庵、などなど次々に無謀とも思える挑戦をしてきました。このころは苦しみもありましたが、トキメキが勝っておりました。最終的には成功させるという強い信念をもって行動しておりました。 真誠会は近年になっても今年は富士見町のローズガーデンの開設や、来年も新しい事業を計画しておりますが、過去の数億円単位の事業からすれば小さい規模です。
今、私に十億円前後の新しい事業をする勇気があるかと言われればさすがに考え込みます。55歳ぐらいまでの無謀とも思える勇気と決断、トキメキは今ではすこし穏やかになり慎重になってきたような感じがします。さすがに66歳の半ばか、、と思う気持ちもあります。
しかし私としてはもう一度あのトキメキを思い出し、新しいことに挑戦したいと思っています。今はそのために体調を整え、精神を鍛え鋭気を養っているところです。真誠会の医療福祉複合体を次世代の社会に受け入れられ、且つトップを走り続けるために私はあのときのトキメキの快感を忘れるわけにはいかないのです。
そしてその生き方が私の80歳まで現役の姿でありたいと思っております。
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