今回の東日本大震災はとにかく筆舌に尽くしがたい大災害でした。とにかく、想像を絶するものであり、多数の犠牲者が出ました。
今回の震災では家も財産もすべて失い、中には家族も失い、残ったのは自分一人、自分の命だけという方も多かったと思います。こんな無残な話は聞いたことがありません。
それに比べれば“当面”ではありますが、私たち山陰、米子はどれだけ安全かと、今穏やかに生活できることに感謝しなければなりません。
たしかに、米子も今年の新年は豪雪で、弓ヶ浜半島の松林は無残な形になりました。
それでも今となってみれば、今回の大震災に比べると、これだけで済んだのだな、とさえ思えるのです。
福島県、宮城県の皆さんと比べたら私たちは幸せすぎるぐらい幸せです。
私たちはとかくすると不満が心の中に起きてきますが、物事は考えかた次第です。
それどころか、いつもは今ある命があることを当たり前すぎて忘れがちですが、命あることを感謝し、そして有意義な人生にするための決意をするきっかけにできればと思います。
そして私たちは単に心の中で感謝するだけではなく、形として表現する必要があると思います。それはいろいろな形での被災地の皆さんへの支援です。しかも今一時の支援ではなく、これから5年から10年かかると言われる復興期間ですが、最低限初期の数年間は継続的に支援することが感謝の行動だと思います。決して一回の募金で“支援をした”ということ、そして“感謝を形に表した”ということにはならないと思います。
プロゴルファーの石川遼選手が、今季の国内ツアーとメジャー大会で獲得する賞金について、全額を東日本大震災の被災者のために寄付すると勇気ある決断をし、また、ソフトバンク代表取締役の孫
正義氏が個人として100億円、および平成23年度から引退までの孫社長の役員報酬全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として
“継続的な”支援を宣言しています。この継続的支援が本物の支援だと思います。
私たちも100分の一、1000分の一でも“痛みを感じる支援”が必要だと思います。“痛みを感じる支援”であればこそ命があることの感謝も心に刻まれるのです。
そして一方で私たちも、いろいろな災害から自分を守るための備えを常にして、話し合い、訓練しておく必要があると痛感しました。生きている限り、命を大切にし力強く前向きに生きて行かなければなりません。素晴しい春の空気を一杯吸って一歩一歩前に、そして上に向かって歩みましょう。そのような私たちに今年も桜が咲いて心を励ましてくれます。私たちが歯を食いしばって一年を過ごすことができれば来年もまた桜の花の祝福を受けることができるのです。
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